ジョホール日本人会について

 

目的: ジョホール日本人会は会員相互の友好,親睦を図り地域社会に貢献し、ひいてはマレーシア、日本相互の理解と友情を深めることを目的に設立されました。
運営: 法人会員、個人会員よりの会費により運営されています。
事業:

上記目的に則り、

1. 日本人社会,地域社会における親睦活動

2. 日本人学校運営活動

3. 日本人墓地の維持管理活動

4. 安全対策活動

の4点を主要活動項目としております。
歴史:

三水会発足以前

戦前からゴム園、鉱山経営等の企業がジョホールに進出しており、イスタナガーデン内に日本庭園、茶室を寄贈したことでもわかるとおり日本人社会は一 定の規模と影響力を持っていたが、第二次世界大戦で全ては無に帰した。

戦後いち早く進出した企業により日本人墓地が再発見され、細々と維持管理が続けられていたが、日本人社会としてのまとまりのある活動は1977年の三水会発足を待たねばならない。

 

三水会時代

1977年、11社で経営活動の情報交換,学校問題,墓地管理,親睦活動のため三水会(毎月第三水曜日に会合を持ったため)が発足。以後ジョホールに組織的な日本人社会の活動が始まる。

又、「やしの実会」というシンガポールへの通学バスを管理する私的団体もあり、一部で共同活動が行われた。

1980年 ジョホール日本人会発足のための準備作業始まる。

1982年 中島大使と会談。サルタン茶屋建設委員会発足等公的な活動も始まり,ジョホールにおいて社会的に認められる存在となった。

その後、三水会はジョホール日本人会設立のための活動を精力的に行い、1991年日本人会設立にこぎつけた。

 

ジョホール日本人会時代

1991 11月20日設立総会。法人会員57社、法人ノミニー132名、個人会員12名、賛助会員1社であった。クラブハウスはJalan  Jelutong, Taman Melodies。

 

1992 「日本人会だより」創刊。T・T会(Tebrau・Tampoi地区)、ニ金会 (Pasir Gudang) 等、日系企業の勉強会が発足。日本人社会の活動が活発になる。

 

1993 高野山金久保童善和尚、日本人墓地供養のため来J.B.以後恒例となる。

 

1994 クラブハウス移転。婦人部チャリティ・バザー始まる。第一回目の日本人学校設立に関するアンケートが実施される。

 

1995 領事館誘致の陳情書(710名分)を大使に手渡す。墓地整備に大使館より予算割当てがあり、墓地活動が大きく前進する。

 

1996 マレーシア,日本両国より日本人学校設立の認可がおりる。

 

1997 日本人学校開校。日本サッカーチーム,ラーキンスタジアムでワールドカップフランス本大会進出を決める。ジョホールの名が日本に広く知れ渡る。

 

1998  1月マレイシア~シンガポール間・第2連絡橋通行開始される。

 

1999  2月在ジョホールバル日本国領事駐在官事務所が開設される。9月「ジョホール日本人会ホームページ」がオープンする。

 

2000 7月ジョホール州最大の国際交流の場を目指し、日マふれあいフェスティバルが盛大に行なわれる。9月常陸宮同妃両殿下ジョホール日本人学校御訪問される。